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 「夢はかなう」「夢は諦めちゃダメだ」
 こんな風に誰かに言われたら、胡散臭いと思うだろうか。思うだろうなぁ。なに熱くなってんだ。誰だって現実と折り合いつけながら生きてんだよ。ってね。
 
 でもね、以前もこのブログで書いたけれど、こういう仕事をしていると「ほんとうに夢はかなうんだ!」ってことを素直に信じさせてくれる人に出会うものです。別に芸能人やスポーツ選手だけじゃない。身近にいる一見ふつうの人の中にも、諦めずに夢をかなえている人がいるんだなって。

 
「夢」に想う。_b0126865_15244060.jpg


 番組の取材で一軒のカフェにお邪魔した。
 日進市の竹の山という地区は、万博の駐車場だったところを大規模に開発していて、住宅や店舗がここ数年急速に増えている新しい街だ。そこに5年前に開業したという「ブリットボウル」というお店。できたばかりの頃は、前を通る道路も一日に数台しか車が通らなかったそう。それが今ではほんの500メートルほどの間に、カフェやスイーツ、オシャレな雑貨店やヘアサロンが立ち並ぶ「激戦区」となっている。
 
 店のオーナーは私と同世代の女性。15年間勤めたIT企業を退職し、意を決してカフェを開業したのだという。男性と肩を並べてバリバリ仕事をしながら、美味しいものをお腹いっぱい食べられる店をつくりたいとずっと思っていたのだとか。
 
 思いは強くても飲食業はまったくの素人。はじめは本当に大変だったそうだ。仕込みも仕入れもわからないことばかり。料理を出すのに30分もかかってしまったり、味つけを間違えて慌ててつくり直したり。
 それでも諦めることなくやれることから少しずつ変えていき、今では竹の山でも指折りの繁盛店になっている。ランチタイムには平日にも関わらず奥様たちで満席、どころか順番待ちの行列ができるほどだ。
 店だけじゃなくスタッフも育った。素人同然だった厨房スタッフ(皆さん近所の主婦たち!)も、今年になって立て続けに調理師免許を取得したのだという。賑やかにお喋りしながらも手際よく仕込みをしていく様子は、すっかりプロの顔だ。
 
 無謀と言われようが、大変とわかっていようが飛び込む勇気。どんなことにもくじけず続けることの大切さ。己を信じ、人を信じて前に進む覚悟。言葉にするとかんたんだけれど、誰もができることではきっとない。
 朝の9時から夜12時まで店に立ち、こんなにも成功していながら「人生、今日よりも明日、というように成長したいですよね」とブログに綴る。貴方はすごい人です、オーナー。
 

 
 そしてもう一人の「夢をかなえた人」の職業は、パイロット!
 男の子なら誰でも一度は憧れそうだけれど、「プロ野球(今はサッカーか?)の選手」と同じくらい、夢のままで終わることが多いんじゃないかな。
 
 出会ったのは、とある学習塾主催のイベント。さまざまな職業のオトナが子どもたちに向けてリアルなお仕事の現場の話を聞かせるという催し。友人に招かれて私も放送業界のウラ側を(番組つくるのってこんなに大変なんだよーと)話してきたのだが、その講師の1人にパイロットがいた。
 
 子どもの頃から乗り物が大好きだった彼は、中学生の頃、初めて乗った飛行機に感激しパイロットになりたい!と思ったのだとか。ここまではよくある話。
 大学を卒業し、大手航空会社のパイロット試験を受けるが不合格。一度は他の職業に就いたものの諦めきれずにいたところ、国内地方路線を主に運航する航空会社が既卒者を対象にした募集をしているのを知り応募。見事合格したのが28歳の時。今はいつかお客さんを乗せて大空を飛ぶ日を夢見て、訓練と勉強の日々だいう。
 
 驚いたのは、パイロットという職業はなるのも大変だが、なってからも大変だということ。
 まず大手航空会社を受験できるのは一生に一度だけ。彼のように一度不合格になると再受験することができない狭き門なのだ。
 入社試験に合格してからも、さまざまな試験が続く。操縦するための試験はもちろん、無線や計器飛行のための試験、さらには厳しい身体検査も(メタボはダメなんだって!)

 そのうえ、こうした試験は失敗が許されない。同じ試験を2回続けて落ちたら、その時点でパイロットを諦めなければならないんだとか。えー、それってすごいプレッシャーじゃん。たまたま体調が悪いときだってあるでしょう、と思って気づく。多くの人の命を預かる仕事なのだ。体調が悪いなどという理由が許されるはずもない。
 
 副操縦士から機長へ(ここまでで平均10年はかかるそう)無事になれたとしても、半年ごとの試験が定年まで続くのだそう。うーん、機長を見る目が変わりそうだ。だって絶対に赤点を取ることのできない試験なんだよ。いまだに試験の夢を見るなんて言ってる私には想像もつかない厳しさだ。
 
 まだ訓練生である彼の人生は、これから先も試練でいっぱいに違いない。それでも、
「パイロットは飛行機の中でいちばんの特等席に座る。離陸する時、目の前が空でいっぱいになる瞬間、あぁ本当にこの仕事についてよかったと思う」
 そう話す彼の顔は輝いていた。

 
 
 「♪負けたら終わりじゃなくて やめたら終わりなんだよね」
 
 『夢をかなえるゾウ』というドラマの主題歌だった、私の好きな曲の一節だ。
 「夢はかなう」というのは絶対とは言えないけれど、たった一つ、確かなことがある。どんな夢も諦めたらそこで終わりだということ。諦めなかった人だけが夢をかなえることができる。
 
 あなたの夢はなんですか?
 

 
  前半に紹介した「ブリットボウル」は、10月10日(日)の東海テレビ「スタイルプラス」で放送される予定 です。竹の山のみなさん、撮影ではたいへんお世話になりました。番組では他にも美味しいお店がたくさん登 場します。どうぞお楽しみに!
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 ♪伊勢へ行きたい 伊勢路が見たい せめて一生に一度でも
 
 『伊勢音頭』の一節です。(台本の初稿に書いたのに、見事にカットされたのでここで復活)
 唄にも歌われるほど、江戸時代の人々にとって伊勢参りは庶民の一生の夢。移動を厳しく制限されていた時代にあって、伊勢神宮に詣でることは信心深さもあっただろうが、何よりも唯一憧れの観光旅行に近かったような気がする。
 60年に一度大ブームが起きているようだが、いちばん凄かったのは文政13年(1830年)。南は九州鹿児島から北は東北秋田まで、430万人もの人が伊勢をめざしたという。当時の日本の人口が3200万人ほどだから、日本人の7〜8人に一人は伊勢を訪れたわけだ。
 ちなみに、人気グループ嵐の昨年の全国ツアーでは全15公演で76万人の動員があったんだって。比べるのはちょっと違うかもしれないが、ブームという点では完全に伊勢参りの勝ちだ。
 
 江戸時代の旅は街道が整備されていたとは言え、時間もお金もかかる。それを支えたのが伊勢神宮のお膝元、伊勢の人々だ。
 街道で食べ物や宿、わらじなどの旅道具やお風呂まで無料で与える「施行(せぎょう)」が盛んに行われたという。「抜け参り」と呼ばれるように、家や職場を抜け出し、親や奉公先の主人に無断でお参りに出ちゃう人々もいたそうだが、着の身着のまま旅に出てしまってもなんとかなったということらしい。
 主人が病気で伊勢参りに行けなくなったため、飼い犬を行かせちゃった人もいる。福島の旧家で飼われていた「シロ」は、首に「この犬は主人の代わりに皇大神宮にお参りさせる」旨を書いた袋をくくりつけられ一人(一匹)で旅に出たところ、2ヶ月後にちゃんとお伊勢さんのお札を持って帰ってきたという。忠犬ハチ公もびっくりだ。道中さまざまな人がシロに食べ物を与えたり一緒に歩いたりしたらしい。
 
 伊勢の人々は「自分たちの暮らしがあるのはお伊勢さんのおかげ」と考え、旅人たちは「無事にお参りできるのは伊勢の人々のおかげ」と言い、いつしか伊勢参りのことを「おかげ参り」と呼ぶようになったんだそうな。
 
 
 なんでも今年は60年に一度の「おかげ年」にあたるのだそうで、番組で伊勢神宮の特集を組むことになった。私たちポルックスは年間400万人の来場者を誇る伊勢の人気スポット「おかげ横丁」を担当することに。
 
 おかげ参りの頃の賑わいをと、伊勢路の街並みを再現してつくられたのが「おかげ横丁」だ。赤福や伊勢うどんを始めとする伊勢路の食べ物やお土産品があって、いつも大勢の人で賑わっている。
 実はわが家も家族で毎年のように訪れていて、赤福氷やてこね寿しなどさんざん堪能させてもらってきた。よし、おかげ横丁なら詳しいぞ。まかせとけ、と取材に向かったのだが。
 
 いざ取材してみたら、知らないことがいっぱいだった。
 
 ロケ日は偶然だが6月1日。1日と言えば、赤福の「朔日餅」がある。確か早朝から発売されるんだよな。よし、じゃあその発売時間からカメラを回そう。
 と思ったら、最初に取材したラーメン屋さんが「31日は夜中の12時に店を開ける」という。朔日餅に並ぶお客さんに深夜ラーメンを食べてもらえるように。
 「わかりました、じゃあ夜中の12時に来ます!」
 次に打合せしたおかげ横丁の広報の人は「あぁそれなら31日は『みそか寄席』がありますよ」と笑顔でおっしゃった。朔日餅に並ぶ人のために、月末の夜7時から落語会を開いているのだという。
 「わかりました、じゃあ31日の7時に・・」
 
 と、どんどん撮影開始時間が早まり、なんと31日の夜から翌1日の夕方まで、ぶっ通しでロケという前代未聞の事態になってしまいました。寝ずにカメラを回し続けたうちのディレクターは、横丁のあちこちで「あれ、まだいるの?」「大変ですね」と呆れられるやら気の毒がられるやら。
 
 苦労はしたけれど、おかげ横丁に行ったことのない人はもちろん、何度も行っている人でもきっと楽しめる内容になったと思います。だって私も思ったもの。来月あたり朔日餅買いに行こうかなぁって。うちのディレクターには激しく却下されそうだけど。


 この模様は、6月13日(日)の東海テレビ「スタイルプラス」で放送される予定です。
 最後になりましたが、伊勢福の三田さん、郡山さん、そして横丁の住人の皆さん、うちのロケ隊が長時間お騒がせいたしました。あたたかく迎えていただけたことが何より嬉しかったです。この場を借りて心よりお礼申し上げます。




 おまけに。

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 横丁で見つけたもの。昔懐かしい井戸やポストがあります。
 屋根瓦の上にはよく見ると、あちこちに可愛らしい動物たちがいます。
 どこにあるか、おかげ横丁に行ったらぜひ探してみて下さい。
 
# by aya_harumi | 2010-06-11 14:46 | 日記
 お刺身、と言ったら何を思い浮かべますか!?
 
 私は断然マグロ。トロが食べたい!などと贅沢は言わないけど、赤身のマグロをつんとワサビをきかせて食べるのは大好きだ。
 ハマチやブリも好き。ブリは特に父方の出身地(岐阜 高山)の風習で、子どもの頃からお正月には欠かせない食材だった。山間地ではブリは貴重品で、だから年越しのご馳走として食べられてきたのだと言う。「今年も一年無事に過ごせました、の“無事”と“ブリ”をかけて・・」云々という父の話が始まると、あぁ今年も一年終わったのだなぁと子供心に感じたものだ。
 実家では照り焼きにして食べていたけど、今わが家ではお刺身でいただく。少し贅沢になったもののご馳走には変わりない。
 
 ご馳走と言えば鯛という人もいるだろう。“めで鯛”食材、ハレの日に食べるご馳走という地位は日本全国どこへ行っても共通だろうとずっと思っていた。
 
 ・・違うのだ。ところかわれば、だったのだ。


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 岡山県備前市の日生(ひなせ)というところへ行ってきた。瀬戸内海に面した小さな港町。港からは小豆島へ渡る船が出ていたりするものの、鄙びた雰囲気のあるのどかなまちだ。
 ここは古くからの「鰆(さわら)」の産地の一つ。魚へんに春と書くこの魚は、5月から6月にかけて産卵のために播磨灘にやってくる。その漁の様子を取材させていただくのが目的だったのだが、私の興味はもうひとつあった。鰆の食べ方だ。
 
 わが家でも鰆はよく食べる。切り身で売られているのを買ってきて味噌漬けにして焼くと、柔らかい白身に味噌が香ばしく沁みてとても美味しい。一般的には甘い西京味噌に漬け込んだ「西京漬け」が有名なのではないだろうか。
 
 ところが岡山では鰆を刺身で食べるという。
 調べてみると、岡山県は鰆の消費量日本一なのだそうだ。産地なのだから新鮮な魚が手に入るというのもあるが、なんと岡山の市場には日本各地でとれる鰆が集まってくるのだという。
 それほどまでに鰆を食べる岡山県民。いったい岡山の人にとって、鰆ってどんな魚なんだろう?
 

 港に着きさっそく漁師さんたちにお話を伺うと
「5月に入ったら鰆、鰆、鰆」
「鰆とれたからいっぱいやろかってな」
「青年団の集まりや同窓会でも鰆料理」
「人が集まりゃ鰆切らんかってなるなぁ」
 と次々と飛び出す。
 鰆のとれる5月にはちょうど節句がある。子どもの日のご馳走は日生では「さわら寿し」。仲間が集まれば、もとは漁師料理だったという「炒り焼き」を囲む。ハレの日やめでたい席には必ず鰆が食卓にある。日生の人々にとって鰆とはそういう魚らしい。
 

 港での取材を終えた後、地元のスーパーにも立ち寄ってみた。目ざすは鮮魚売場。見慣れた切り身も確かにあったが、刺身売場のそれも特等席に「鰆の刺身」が鎮座している。お惣菜コーナーには「さわら寿し」が山積みになっている。
 
 ところが日生港からわずか10キロほど離れたところにあるスーパーには、鰆の刺身は影もカタチもない。もう1軒、全国展開する大手スーパーにも行ってみたがこちらにも全くない。不思議に思って地図を見てみたら、どちらのスーパーも住所は兵庫県赤穂市だった。
 岡山県の東の端に位置する日生と、兵庫県西端の赤穂市。わずか10キロの間に県境をまたいでしまったようだ。そして「鰆の刺身」境界線も。
 本当に岡山(南部)だけの食べ方だったんだなぁ。局地的な鰆への愛情にふれることができて、驚くとともになんだか嬉しくなった。
 

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 取材でいただいた「鰆のたたき」はほんとうに美味しかった。かつおのたたきよりもあっさりしていて皮が香ばしくて。名古屋でも食べられたらいいのに、と思ってはたと気づく。
 そうだ。これは日生に来て食べるからこそ旨いのだ。瀬戸内のおだやかな初夏の日差しの下、潮風に吹かれながら港町を歩き、日生の人々の温かい人情にふれながらいただく料理だからこそ。旅の楽しみはまさにそこにある。

 どうぞ岡山に行ったら美味しい鰆の刺身を探してみてください。
 

 
 この日取材させていただいた鰆漁の様子は、5月28日(金)のTBS系列「えなりかずき!そらナビ」で放送される予定です。なんとロケでは今年いちばんの豊漁だったとか。どうぞお楽しみに!
 最後になりましたが、日生漁協の天倉さんや漁師の松原さんはじめお世話になった日生の皆様、ほんとうにありがとうございました。名古屋に来たらぜひ「味噌煮込みうどん」食べて行ってくださいね。

# by aya_harumi | 2010-05-25 12:44 | 日記
 朝、犬の散歩をして川沿いの道を歩いていたら、風に吹かれて綿のようなものがふわふわと漂っていた。誰か羽毛布団でも解体した?っていうぐらいの量。
 川べりに降りてみるとさらにすごい量の綿毛が、川の中から舞い上がっているように見える。

 何これ!? 好奇心にかられて発生源を探すと、どうやら水辺に生えている木のあたりらしい。ところどころいちめん綿の穂だらけになっている木があって、風が吹くたびにぶわーーっと綿毛が舞い上がっているのだ。うわぁ、真下に立つとまるで綿毛のシャワーのよう!

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 降りしきる綿毛に、あたり一面真っ白。遊歩道の脇には吹きだまりのように綿の帯ができていた。

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 いったい何の木だろう? 家に帰って調べてみたら、正体はヤナギの木らしい。そういえば、川べりの土手にヤナギが植わっていたような気がする。
 ヤナギと言えばしだれ柳。怪談話につきものなのもあってどこか物哀しいイメージだが、こんな時期があるなんて。五月晴れの青空に向けて盛大に綿毛を飛ばす様子は堂々として、命の輝きにあふれていた。


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 綿の中には、よく見ないとわからないほどの小さな小さな種がある。仰ぐほどの大木からは想像もできないほどの華奢な種。風にのって遠くまで種子を飛ばすために、余分な栄養は持たずにできるだけ身軽にしているのだという。うまく風にのれば1キロ先ぐらいまでは飛んでいくのだとか。確かに、散歩から帰る道すがら気をつけて見ていると、ふわふわと空中を漂っているものがあった。1キロどころか、町内全部に届いていそうなイキオイだ。

 ヤナギの種は数日間しか寿命がなく舞い降りたらすぐに発芽するそうだ。こんなにたくさん降り注いだらあちこちヤナギだらけになるんじゃないだろうか。
 ところが実際にはそうはならない。おそらく小さな種が発芽できる環境はごく限られているのだろう。適したところにうまく着地できたものだけが発芽できる。発芽できたとしても、大きな木に育つまでにはさまざまな試練があるのに違いない。だからこそ、子孫を残すために種子を遠くまで飛ばすようになったのだろう。
 
 そういえば昨日まで雨だった。土の地面はまだぬかるんでいるところもある。今日はうって変わって穏やかな晴天。微風。気温高め。ヤナギは湿潤なところを好むというから、今日盛大に種子を飛ばしているのは生存の確率を少しでも高めるためなのかもしれない。

 命のもつたくましさ。自然に組み込まれた精巧なプログラムにただただ畏れ入る。


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 散歩を終えて。体にほわほわとした綿毛がいっぱいついていた。うちの庭にヤナギが生えたら、こいつのせいだ。



 儚いヤナギの綿毛が風にのって運ばれていくのは応援したい気分になるが、空中を漂って広まってもらっては困るものもある。その最たるものがウィルスだろう。インフルエンザとか最近で言えば口蹄疫とか。宮崎の人々の苦難に思いを馳せつつ、一刻も早く終息することを願わずにはいられない。
# by aya_harumi | 2010-05-21 14:07 | 日記
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 大型だったらしい今年の連休、ポルックスはいつも以上にフル稼働。取材をし、台本を書き、ロケをこなし、編集作業にカンヅメになり、やっとこさ無事にナレーションを撮り終わり・・・と思ったら連休もすっかり終わっていました。あぁあ。


 制作していたのは、東海テレビ「スタイルプラス」の人気コーナー「東海仕事人列伝」。東海地方で働く方を取り上げ、仕事に対するこだわりや情熱を描く硬派のドキュメントだ。
 今回の仕事人は「ホテルの総料理長」。名古屋で最も古く、伝統と格式のある名古屋観光ホテルの総料理長を取材させていただいた。


 事前にした下調べによれば、名古屋観光ホテルの総料理長 森 繁夫氏は、フランスで最も権威のあるフランス料理アカデミーから正式に認められた、最高の技術を持つ料理職人の一人だ。名古屋に皇室や各国要人などVIPが訪れた時には必ず腕を振るう、日本を代表するグランシェフ。すらりと高〜いコック帽姿は威厳と貫禄たっぷり。でもインタビュー記事をいくつか読むと、とても気さくな人柄だという。いったいどんな方なんだろう?


 「すいません、遅くなりまして」
 いえいえいえ、とんでもない。私たちが約束の時間より少し早めに着いたのですから。という挨拶とともに始まった取材。話せば話すほど噂通り気さくな方で、しかもとてもお話上手。楽しくインタビューしているうちにあっという間に時間が経ってしまうほどだった。

 ふだんは温厚でも仕事は厳しい。「部下を怒鳴りつけたりすることもあるんですか?」と伺うと、「年に1〜2回はね」とニッコリとされた。
 誰よりも早く出社し、率先して現場に立つ。後輩に教える時は、まったく同じ条件で自分も一緒に料理を作ることもあるのだとか。
 そして人に対してだけでなく、自分に対してもそれ以上に厳しい。総料理長に昇り詰めてもなお、一人の料理人として新作料理を発表し続けていらっしゃる。「階段を一段上がるとまた違う景色が見えてくる」と言う。すごいなぁ。


 私はどうだろう。作家という仕事の一端に関わるようになってかれこれ20年。この道42年の森料理長の半分にも満たないが、階段を上がり続けているだろうか。
 おかげさまで毎回いろんな分野のさまざまな人にお会いすることができて、新鮮な気持ちは持ち続けることができている。けれど上がった階段の上で前を見なければ、違う景色は見えないのだ。足元や後ろを見ていては、そこに広がる景色はわからない。上がるために一歩を踏み出すこと、顔を上げてしっかりと前を見ること、どちらもとても勇気とエネルギーがいるに違いない。


 森料理長のスゴさは、どうぞ番組を見てください。ゴールデンウィークの忙しいさなか、うちのディレクターがぴったり2日間密着して撮らせていただいた秘蔵映像が満載です。
 「怖い人で、厳しい人で、でも温かいところもあります」と、厨房で働くスタッフが語ってくださったとおりの料理長がたっぷり映っています。


 取材を通して想ったこと。私のような若輩者が口にするのはとても僭越なのだが、

 ─── なんてまっすぐな人なんだろう

 仕事に対しても生き方に対しても、真ん中にすっと一本筋が通っている。そんな素敵な人生の先輩に、また一人お会いすることができてとても幸せなひと時でした。
 

 そうそう、森料理長のまっすぐで純粋なことを表すとっておきのエピソード(ハプニング?)が取材中にあったのですが。インタビュー後、自分でも予期しなかった現象に照れまくりの料理長、同席した広報の女性スタッフに「お前、絶対にこのことみんなに言うなよ」と必死で口止めしていらっしゃいました。
 というわけなのでここには書けませんが(残念)。そんなお二人のやり取りを見ながら「あぁ、こんな上司の元で働けたら楽しいだろうなぁ」と想わずにはいられませんでした。


 ロケの後、うちのディレクターは「今度プライベートで食べにいらっしゃい」と声をかけていただいたとか。その時はぜひ私も誘ってください。ね。



 この模様は、5月9日(日)の東海テレビ「スタイルプラス」で放送される予定です。
 最後になりましたが、森総料理長、田口さん、そしてスタッフの皆さん、お忙しい中をほんとうにありがとうございました。おかげさまで素敵な番組に仕上がったと思います。この場を借りて心よりお礼申し上げます。