カテゴリ:「想う」こと。( 13 )
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 犬の散歩の途中、公園の花壇でヒマワリが満開だった。あぁ、これぞ夏の景色だなぁ。さすが“向日葵”と言うだけあってみんな一斉に太陽の方を向いて咲き誇っている。
 が、その中で一つだけまったく違う方角を向いているのがあった。

 あぁ、どこの世界にもいるよね。こういう天の邪鬼(あまのじゃく)な奴。

 私自身、どちらかと言えば天の邪鬼な性質だ。
 ブームを見つけるのは大好きだが、あまりにもブームになり過ぎると熱が冷めてしまう(『アナと雪の女王』は、だから観ていない)。「右向け右」と言われると左を向きたくなる。みんなが「そうそう」と頷いていると「ホントに?」と疑ってかかる。あぁ、めんどくさい性格。

 いや、でもこの向日葵が無性に気になったのは、私に似ているからじゃない。この夏、たった一人で奮闘している次女にダブって見えたからだ。


 高校3年生の次女が卒業後の進路を就職に決め、就活のまっただ中にいる。進学校なのでまわりはみんな受験勉強。なんと就職するのは学年でたった一人だという。
 自分の進路は自分のもの。好きな道を進めばいいという主義の私でも、さすがに気になって何度も確かめた。
「ねぇ、ほんとうにいいの?進学しなくて」
「うん。不安じゃないと言えば嘘だけど、就職するって決めたことは全然後悔してないよ」
 いやにさっぱり、きっぱり。一人なのは、孤独ではあるが平気なのだそうだ。思えば、高校進学の時にも自宅から遠いこの高校にどうしても行きたいと言って、地元の中学からたった一人で受験したんだもんね。

 ずいぶん根掘り葉掘り聞いたが、要するに次女の言い分はこうだ。

 大学や専門学校は、一つの分野をとことん勉強して究めるところ。高校の勉強は嫌いではないが、自分にはそこまで深く探求したいと思える分野があるわけではない。まわりがみんな進学するからって、目的もないのにただなんとなく大学に行くのは違うと思う。
 それよりも今いちばんしたいのは仕事をすること。働いて人の役に立って認められて給料をもらって自分も成長する。その方がよほど充実している。
 どうせいつかは就職するのなら、4年間ダラダラ過ごして就活で苦労するより、部活や勉強でうんとがんばったと胸張って言える今の方が有利でしょ。

 ───た、確かに。正論すぎて何も言えやしない。

 学年でたった一人。
 いくら正論とは言え、みんなと同じ方を向かないというのは勇気がいることに違いない。その勇気はどこからくる?
 考えていて思い当たったことがある。そういえばこの子は小さい頃からまわりとはちょっと違う、ユニークな発想をする子だったのだと。


 目をキラキラさせて帰ってきたかと思えば、
「あのねー、今日ね、ずーっとお空を見ながら歩いてきたの。いろぉんな雲があったよ!」
 そ、そう。よくぞ無事に帰ってこれたね。

 保育園で真っ黒に塗りつぶした絵を描いてきた時。うわー、これはヤバいでしょ。なにか心に不満や不安をためているのかも。色彩心理学を思い出しながらおそるおそる尋ねてみると
「これはねー、夜なの。真っ暗でコワイけど夜ってオモシロイね!」
 そうか、夜ね。お花やおうちやお母さんより、キミは夜を描きたかったんだ。

 小学校の作品発表会。「海の生き物」のクラス展示で「たこ」や「クジラ」が並ぶ中、次女の作品に付けられた名札はなぜか「スイートン」‥‥
「だって先生が『名前をつけましょう』って言うから、名前を考えたら『スイートン』が浮かんできたんだもん」
 
 小学6年生ではすでに将来の職業について、こんな達観したことも言ってたなぁ(そして今もブレていない)


 これまでの17年をあれこれ思い出す私の横で、面接の自己PRにうんうん唸る次女。初対面の相手にどんな言葉で自分のことを伝えたらいいのか、表現することの難しさに直面していた。学校の先生やハローワークの担当者に山ほどダメ出しされ(何しろマンツーマンだからね)なんども書き直した挙げ句、ある時ふと霧が晴れたように言い放った。
「こんなに真剣に自分のことを見つめ直す機会はこれまでなかった。自分には足りないところもあるけれど、いいところもたくさんあることがわかって少し自信がついた」
 うん、そうだね。キミには他の子にはない魅力がたくさんあるよ。
 その魅力が、まっすぐな想いが、面接でも伝わるといいね。


 学校の勉強と違って、努力すれば必ず実るとは限らないのが就活だ。
 うまく就職できたとしても、この先いくらでも壁にぶち当たったり悩んだりするだろう。
 でもね、そんな時にまわりに流されず、自分はどうしたいのか、自分は何が大切なのか、「自分」という芯が一本ちゃんと通っていれば選ぶ道をそんなに誤ることはないんじゃないかな。

 自分の道を照らすのは自分自身なんだよ。そのことだけは忘れないで。
 そして自信をもって一歩を踏み出しておいで。
 どうか次女の進む道に、向日葵のような大輪の花が咲きますように。どっちを向いていてもいいから、さ。
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 終了してしまったが、TBS系列で放送していた「そらナビ」という番組で「産地直行」というコーナーを担当していた。全国各地のさまざまな食材の産地を訪ね、お天気と深く関わりながら美味しい食材を届けるために奮闘している人々をたくさん取材させていただいた。
 
 なかでも多かったのは、漁港への取材だ。当たり前だが漁業に関わっている方たちは、水揚げなどが天候に大きく左右される。そのご苦労や、だからこそ得られる喜びなどを映像を通してお伝えしてきた。
 
 その活気溢れる漁港が、美しかった港町が、人情溢れる心優しい人々の暮らしが、一瞬にして津波に呑み込まれていく・・

 映像の仕事をしていながら、これほど酷な映像を見たのは初めてだ。撮影でお世話になった方々の顔が次々と思い浮かぶ。比喩でなく、胸が張り裂けそうな気持ちでニュースを見つめた。これを書いている現在、いまだ安否はわからないがどうかみなさん無事でいてほしいと願う。


 その未曾有の大震災から5日が経った。テレビを見ていると、やたらと公共広告のCMばかり流れる。一般企業がCMを自粛しているのだろう。

 テレビだけではない。なんだか日本全体が自粛・節制・忍耐モード。全国でスポーツやコンサートなどイベントの中止が相次いでいる。名古屋のテレビ塔もしばらく消灯するそうだ。

 地震の影響がある地域で、安全上の観点から余儀なく中止するイベントや、停電や節電のため営業時間を変更せざるを得ない施設・店舗などは仕方ないと思う。震災で亡くなられた方々に哀悼の意を表するのも、被災されて大変な思いをしている方々に思いを馳せ、無事を祈ったりエールを贈ることももちろん大事なことだとは思う。

 しかし、ここ名古屋で被災しなかった私たちができることって何だろう。自粛したり節制したりすることなんだろうか。そう考えていた時、出勤途中の車の中でFMラジオから聴こえてきたDJの声。

「○時になりました。私○○○○(DJ名)が、いつもの通り○○○○(番組名)をお届けします!」

 いつもの通り。そうだ。そうなのだ。
 被災しなかった私たちは、いつもの通り精いっぱい日常を生きよう。

 いつもの通り働いて稼ぎを得て、いつもの通り買い物したり食事したりしよう。
 いつもの通り音楽を聴いたり映画を観たり、いつもの通りスポーツも楽しもう。

 そうした消費活動から企業や商店はまっとうな利益を上げ、きちんと税金を納めればいい。そうして選挙があれば投票へ行き、ただしい税金の使い方をしてくれる人を選べばいいのだ。

 既に大手の衣料品メーカーやスーパーなどが被災地に支援物資を届け始めているという。それだって、企業がちゃんと利益をあげているからこそできる活動だと思うのだ。そういう活動をしているメーカーで春物の服を買ったり、スーパーで食材を買うことは間接的だけれど支援していることにならないだろうか。

 被害の甚大さからも阪神大震災の例からも、間違いなく復興には長い長い時間がかかる。膨大な額の資金も必要となるだろう。
 幸運にも被災しなかった私たちは、働いて、税金を納めて、きちんと消費する。ズタズタの日本経済を今こそしっかりと支える。それも立派な支援のカタチだと私は思う。

 ・・・そんなことを考えながら、いつもの通り懸命に働いています。



 もうひとつ。以前、中部電力のお仕事をさせていただいた経験から、節電について私の知りうる限りの情報を記しておきます。
 
 全国の電力会社間には、非常時(真夏の過剰消費、落雷など)に備えて電気を融通しあうシステムがあります。中部電力では、新信濃変電所などで50hz/60hz周波数変換を行い、基幹給電制御所などでの24時間態勢のコントロールのもと、必要があれば東日本への電力供給を行っています。
 
 しかしながら変換や送電の能力には限界があり、また電気は備蓄することができないため、中部地方で私たちが節電した分がそのまま被災地へと届くわけではありません。既に地震発生後から通常業務として電力融通は最大限行われており(参考:中部電力HP)、それでも足りないから計画停電などが行われているのです。
 
 もちろん日頃の心がけとして個人で節電することは大切なことですが、電気を使わなければ営業できない施設や店舗に自粛を求めたり、非難中傷することは避けてほしいです。そこには必ず働いて糧を得ている人々がいるのです。いつも通りの営業ならば、何ら影響はないのですから。
 
 
  しばらくブログ更新をお休みしている間に、音楽スタジオを開業しておりました。音楽に限らずエンタテインメント系はこういう時「不謹慎な」と批判を浴びることが多いです。しかしシンディ・ローパーが言っているように、音楽は人に勇気や元気を与えることができるはず。私たちはそんなお客様のために、いつもの通り店を開けて元気にお迎えしていきたいと思います。目の前の日常を精いっぱい生きることが復興のお手伝いになると信じて。
  
  最後になりましたが、福島県いわき市小名浜「さすいち」の小野さんご一家とスタッフの皆さんのご無事を心よりお祈りしております。


  追記:先日「さすいち」さんのご家族、従業員全員無事との連絡がありました。うちのディレクターのTwitterに情報を下さったいわき市の方、ほんとうにありがとうございました。小名浜港がまた元通りさんまの豊漁に沸く日まで、私たちにできることを考え続けながら応援していきたいと思います。

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 「夢はかなう」「夢は諦めちゃダメだ」
 こんな風に誰かに言われたら、胡散臭いと思うだろうか。思うだろうなぁ。なに熱くなってんだ。誰だって現実と折り合いつけながら生きてんだよ。ってね。
 
 でもね、以前もこのブログで書いたけれど、こういう仕事をしていると「ほんとうに夢はかなうんだ!」ってことを素直に信じさせてくれる人に出会うものです。別に芸能人やスポーツ選手だけじゃない。身近にいる一見ふつうの人の中にも、諦めずに夢をかなえている人がいるんだなって。

 
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 番組の取材で一軒のカフェにお邪魔した。
 日進市の竹の山という地区は、万博の駐車場だったところを大規模に開発していて、住宅や店舗がここ数年急速に増えている新しい街だ。そこに5年前に開業したという「ブリットボウル」というお店。できたばかりの頃は、前を通る道路も一日に数台しか車が通らなかったそう。それが今ではほんの500メートルほどの間に、カフェやスイーツ、オシャレな雑貨店やヘアサロンが立ち並ぶ「激戦区」となっている。
 
 店のオーナーは私と同世代の女性。15年間勤めたIT企業を退職し、意を決してカフェを開業したのだという。男性と肩を並べてバリバリ仕事をしながら、美味しいものをお腹いっぱい食べられる店をつくりたいとずっと思っていたのだとか。
 
 思いは強くても飲食業はまったくの素人。はじめは本当に大変だったそうだ。仕込みも仕入れもわからないことばかり。料理を出すのに30分もかかってしまったり、味つけを間違えて慌ててつくり直したり。
 それでも諦めることなくやれることから少しずつ変えていき、今では竹の山でも指折りの繁盛店になっている。ランチタイムには平日にも関わらず奥様たちで満席、どころか順番待ちの行列ができるほどだ。
 店だけじゃなくスタッフも育った。素人同然だった厨房スタッフ(皆さん近所の主婦たち!)も、今年になって立て続けに調理師免許を取得したのだという。賑やかにお喋りしながらも手際よく仕込みをしていく様子は、すっかりプロの顔だ。
 
 無謀と言われようが、大変とわかっていようが飛び込む勇気。どんなことにもくじけず続けることの大切さ。己を信じ、人を信じて前に進む覚悟。言葉にするとかんたんだけれど、誰もができることではきっとない。
 朝の9時から夜12時まで店に立ち、こんなにも成功していながら「人生、今日よりも明日、というように成長したいですよね」とブログに綴る。貴方はすごい人です、オーナー。
 

 
 そしてもう一人の「夢をかなえた人」の職業は、パイロット!
 男の子なら誰でも一度は憧れそうだけれど、「プロ野球(今はサッカーか?)の選手」と同じくらい、夢のままで終わることが多いんじゃないかな。
 
 出会ったのは、とある学習塾主催のイベント。さまざまな職業のオトナが子どもたちに向けてリアルなお仕事の現場の話を聞かせるという催し。友人に招かれて私も放送業界のウラ側を(番組つくるのってこんなに大変なんだよーと)話してきたのだが、その講師の1人にパイロットがいた。
 
 子どもの頃から乗り物が大好きだった彼は、中学生の頃、初めて乗った飛行機に感激しパイロットになりたい!と思ったのだとか。ここまではよくある話。
 大学を卒業し、大手航空会社のパイロット試験を受けるが不合格。一度は他の職業に就いたものの諦めきれずにいたところ、国内地方路線を主に運航する航空会社が既卒者を対象にした募集をしているのを知り応募。見事合格したのが28歳の時。今はいつかお客さんを乗せて大空を飛ぶ日を夢見て、訓練と勉強の日々だいう。
 
 驚いたのは、パイロットという職業はなるのも大変だが、なってからも大変だということ。
 まず大手航空会社を受験できるのは一生に一度だけ。彼のように一度不合格になると再受験することができない狭き門なのだ。
 入社試験に合格してからも、さまざまな試験が続く。操縦するための試験はもちろん、無線や計器飛行のための試験、さらには厳しい身体検査も(メタボはダメなんだって!)

 そのうえ、こうした試験は失敗が許されない。同じ試験を2回続けて落ちたら、その時点でパイロットを諦めなければならないんだとか。えー、それってすごいプレッシャーじゃん。たまたま体調が悪いときだってあるでしょう、と思って気づく。多くの人の命を預かる仕事なのだ。体調が悪いなどという理由が許されるはずもない。
 
 副操縦士から機長へ(ここまでで平均10年はかかるそう)無事になれたとしても、半年ごとの試験が定年まで続くのだそう。うーん、機長を見る目が変わりそうだ。だって絶対に赤点を取ることのできない試験なんだよ。いまだに試験の夢を見るなんて言ってる私には想像もつかない厳しさだ。
 
 まだ訓練生である彼の人生は、これから先も試練でいっぱいに違いない。それでも、
「パイロットは飛行機の中でいちばんの特等席に座る。離陸する時、目の前が空でいっぱいになる瞬間、あぁ本当にこの仕事についてよかったと思う」
 そう話す彼の顔は輝いていた。

 
 
 「♪負けたら終わりじゃなくて やめたら終わりなんだよね」
 
 『夢をかなえるゾウ』というドラマの主題歌だった、私の好きな曲の一節だ。
 「夢はかなう」というのは絶対とは言えないけれど、たった一つ、確かなことがある。どんな夢も諦めたらそこで終わりだということ。諦めなかった人だけが夢をかなえることができる。
 
 あなたの夢はなんですか?
 

 
  前半に紹介した「ブリットボウル」は、10月10日(日)の東海テレビ「スタイルプラス」で放送される予定 です。竹の山のみなさん、撮影ではたいへんお世話になりました。番組では他にも美味しいお店がたくさん登 場します。どうぞお楽しみに!
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 大型だったらしい今年の連休、ポルックスはいつも以上にフル稼働。取材をし、台本を書き、ロケをこなし、編集作業にカンヅメになり、やっとこさ無事にナレーションを撮り終わり・・・と思ったら連休もすっかり終わっていました。あぁあ。


 制作していたのは、東海テレビ「スタイルプラス」の人気コーナー「東海仕事人列伝」。東海地方で働く方を取り上げ、仕事に対するこだわりや情熱を描く硬派のドキュメントだ。
 今回の仕事人は「ホテルの総料理長」。名古屋で最も古く、伝統と格式のある名古屋観光ホテルの総料理長を取材させていただいた。


 事前にした下調べによれば、名古屋観光ホテルの総料理長 森 繁夫氏は、フランスで最も権威のあるフランス料理アカデミーから正式に認められた、最高の技術を持つ料理職人の一人だ。名古屋に皇室や各国要人などVIPが訪れた時には必ず腕を振るう、日本を代表するグランシェフ。すらりと高〜いコック帽姿は威厳と貫禄たっぷり。でもインタビュー記事をいくつか読むと、とても気さくな人柄だという。いったいどんな方なんだろう?


 「すいません、遅くなりまして」
 いえいえいえ、とんでもない。私たちが約束の時間より少し早めに着いたのですから。という挨拶とともに始まった取材。話せば話すほど噂通り気さくな方で、しかもとてもお話上手。楽しくインタビューしているうちにあっという間に時間が経ってしまうほどだった。

 ふだんは温厚でも仕事は厳しい。「部下を怒鳴りつけたりすることもあるんですか?」と伺うと、「年に1〜2回はね」とニッコリとされた。
 誰よりも早く出社し、率先して現場に立つ。後輩に教える時は、まったく同じ条件で自分も一緒に料理を作ることもあるのだとか。
 そして人に対してだけでなく、自分に対してもそれ以上に厳しい。総料理長に昇り詰めてもなお、一人の料理人として新作料理を発表し続けていらっしゃる。「階段を一段上がるとまた違う景色が見えてくる」と言う。すごいなぁ。


 私はどうだろう。作家という仕事の一端に関わるようになってかれこれ20年。この道42年の森料理長の半分にも満たないが、階段を上がり続けているだろうか。
 おかげさまで毎回いろんな分野のさまざまな人にお会いすることができて、新鮮な気持ちは持ち続けることができている。けれど上がった階段の上で前を見なければ、違う景色は見えないのだ。足元や後ろを見ていては、そこに広がる景色はわからない。上がるために一歩を踏み出すこと、顔を上げてしっかりと前を見ること、どちらもとても勇気とエネルギーがいるに違いない。


 森料理長のスゴさは、どうぞ番組を見てください。ゴールデンウィークの忙しいさなか、うちのディレクターがぴったり2日間密着して撮らせていただいた秘蔵映像が満載です。
 「怖い人で、厳しい人で、でも温かいところもあります」と、厨房で働くスタッフが語ってくださったとおりの料理長がたっぷり映っています。


 取材を通して想ったこと。私のような若輩者が口にするのはとても僭越なのだが、

 ─── なんてまっすぐな人なんだろう

 仕事に対しても生き方に対しても、真ん中にすっと一本筋が通っている。そんな素敵な人生の先輩に、また一人お会いすることができてとても幸せなひと時でした。
 

 そうそう、森料理長のまっすぐで純粋なことを表すとっておきのエピソード(ハプニング?)が取材中にあったのですが。インタビュー後、自分でも予期しなかった現象に照れまくりの料理長、同席した広報の女性スタッフに「お前、絶対にこのことみんなに言うなよ」と必死で口止めしていらっしゃいました。
 というわけなのでここには書けませんが(残念)。そんなお二人のやり取りを見ながら「あぁ、こんな上司の元で働けたら楽しいだろうなぁ」と想わずにはいられませんでした。


 ロケの後、うちのディレクターは「今度プライベートで食べにいらっしゃい」と声をかけていただいたとか。その時はぜひ私も誘ってください。ね。



 この模様は、5月9日(日)の東海テレビ「スタイルプラス」で放送される予定です。
 最後になりましたが、森総料理長、田口さん、そしてスタッフの皆さん、お忙しい中をほんとうにありがとうございました。おかげさまで素敵な番組に仕上がったと思います。この場を借りて心よりお礼申し上げます。

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 毎朝毎晩天気予報が気になる。
 晴天の日が続けば「そろそろ一雨きてくれないかなぁ」と願い、雨が降り続くとそれはそれで心配になってくる。気温や風の変化にも以前より敏感になった。
 
 それというのも、庭の一角に小さな小さな畑をつくったからだ。
 
 秋風が吹き始めた頃から暇を見つけて少しずつ耕し、先月この畑にホウレンソウや春菊の種を蒔いた。イチゴやエンドウ豆の苗も買ってきて、小さな菜園も少しずつ賑やかになってきている。小松菜やサニーレタスは既に何回か食卓に彩りを添えてくれている。
 

 先月は雨が待ち遠しくてたまらなかった。
 以前、このブログにも「雨は私たちの仕事にとって大敵」と書いたのであまり大きな声では言えなかったが。いや、もちろん今だってロケや取材の日はすっきりと晴れてほしいと思っているが。
 
 種まきをしたものの、なかなか芽が出てこない。家庭菜園の本を読むと「発芽するまでは土が乾かないようにしましょう」と書いてある。ジョウロで水やりをしたりしていたが、どのくらい与えればいいのかよくわからず手加減しながらだったからか、畑は沈黙を守ったままだ。
 
 失敗したか、と思いかけた時。
 夕方ポツポツ・・ときたかと思ったら、サァーッと雨が降り始めた。小一時間ほど降ってすぐにやんだように思う。
 
 翌朝見ると、土の上に一列にホウレンソウの小さな芽が並んでいた。昨夜の雨でいっせいに発芽したようだ。ジョウロの水じゃなくて、天から降る雨の方が刺激になったのかもしれない。雨の力ってすごいなぁとあらためて思った。
 
 その後、まだ苗が小さかった時に今度はかなり強い雨が降り続いた日があった。畑は水没、苗もこのままだと根腐りしてしまいそうだ。「もういいよ。もうそろそろやんでくれ」と天に向けて願う。幸い雨が降り止んだ後でしばらく晴天が続き、育ち始めた野菜はなんとか無事だった。今度はお天道様の偉大さをあらためて噛み締めた。
 
 今月に入ってからは、さらに雨が恨めしい。先月に比べ日差しが弱まり、日も短くなったせいか、一度雨が降るとなかなか土が乾かない。朝晩冷え込む日も多くなりそろそろ霜の心配もしなくてはいけない。雨が降らない悩みは水やりでしのげるが、まさか畑の土をドライヤーで乾かすわけにもいかず、天気予報とにらめっこの日が続いている。
 

 「そらナビ」というお天気情報番組を担当している。番組の中の「産地直行」というコーナーで、全国各地に食材の産地を尋ねて取材させていただいている。畑で野菜をつくったり海で魚をとったり自然相手に頑張っていらっしゃる方たちにお天気への想いを伺ってきた。
 
 当たり前だがお天気はどうにもならない。雨が多い年があれば少ない年もある。台風や豪雨が大切に育ててきた野菜を台無しにしてしまうこともある。海が荒れて船が出せないとか、気温が高く不漁が続いていると嘆く漁師さんもいらっしゃる。時には「しゃあないなぁ」と諦めることもあるのだとか。
 
 その気持ち、今はすごくよくわかる。素人の家庭菜園ですらハラハラするのに、まして生活がかかっている農家や漁師さんたちは天にも祈る心地だろうと思う。思い通りにならない自然を相手に、人間の知恵が及ぶ範囲はごくわずかなのだと教えてくださった農家の方もいた。それだけに、美味しいものを届けることができた時の喜びもまた大きいのだと。
 
 この番組を担当するようになって畑へ行く機会が増え、野菜づくりも面白そうと軽い気持ちで始めた菜園だったが、あらためて農家の方たちの大変さを実感できている。自然の恵みに感謝する心も。
 
 
 朝のうち晴れていた空が、今またどんよりと曇ってきている。午後からは冷たい雨になりそうだ。どうか早めに低気圧が通り過ぎて、暖かな日差しが戻ってきますように。
 あした天気になぁれ。
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 3月。別れと旅立ちの季節。
 私たちが働くテレビの世界でも、この春いくつかの番組が終了する。今年は不況のせいもあってとりわけ多いような気がする。

 そんな中、ひとつの番組が幕を閉じる。
 中京テレビの「人生の応援歌」
 毎週土曜日、夕方5時55分〜6時という枠で放送してきた小さな番組。2004年4月にスタートし、足かけ5年間続いた番組だ。放送回数はのべ257回に及んだ。私たちポルックスも5年前の立ち上げから参加させていただき、およそ半分の120回以上を担当させていただいたことになる。
 
 先日、すでに最終回までの撮影と編集が終わった時点で、これまで5年間に番組に携わったスタッフ全員による打ち上げが行われた。
 ふつう番組終了というと、私たち現場のスタッフは悲喜こもごもだ。「よくやった」「がんばった」という達成感がある一方で、「やっと終わる」「解放される」という気持ちが全然ないと言ったら嘘になる。これまでいくつかの番組終了に立ち合ってきたが、どちらかというと達成感よりは「もっとこんなこともやりたかった」「こうすれば終了にならずに済んだのかも」と思うことの方が多かった気がする。
 
 でもこの日の打ち上げは、そのどれとも違う雰囲気だった。
 手探りで始まった初回のドタバタぶりを振り返る者、印象に残る出演者を挙げる者、ロケ中の武勇伝を披露する者。誰もが楽しそうで懐かしそうで、そして切なそうで。誰もが別れを惜しんでいた。そう、まるで卒業式のように。

 宴会の最後、ひとりひとりが番組への想いを順に話していった。どのスタッフの発言もみな番組への愛にあふれていたが、中でもその場に居合わせたみんながはっとしたのがこの言葉だ。
 「この『人生の応援歌』という番組は、5年もの間、一度もリニューアルしなかった大変珍しい番組です」
 そうなのだ。
 番組タイトルやコンセプトはもちろん、テロップの字体一つに至るまで初回からまるで変わっていない。唯一ナレーターだけは諸事情で一回変わったが、それでも内容そのものは5年間一度もぶれなかった。
 こんなことはこの業界では本当に珍しい。たいていは途中で「てこ入れ」「リニューアル」の名のもとにさまざまな変更が加えられる。理由は視聴率不振のこともあれば、長く続けるうちにマンネリ化していくこともある。飽きっぽいテレビという世界で、走りながら手直ししていく、そんなことは日常茶飯事なのだ。
 
 「人生の応援歌」はそのどれとも無縁だった。これほどつくり続けてきても飽きるということがなかった。3年目ぐらいからは取材先へ行くと「見ているよ」「いい番組だね」と言ってもらえることも多くなった。テレビの取材はもう懲り懲り、とおっしゃっていた方が番組を見てくれて「この番組なら」と出演を快諾してくれたこともある。
 
 なんて幸せな番組。そしてそんな番組に関われたことの幸せ。
 あの場にいたスタッフみんながそんな想いだったに違いない。もちろん、私も。
 

 そしてもうひとつ、この番組をやっていてよかったのは、現場でたくさんの元気を分けていただけたことだ。

 これも多分珍しいことなのだろうが、撮影に行く現場のスタッフはやけに年齢層が高かった。カメラマンも照明さんもディレクターも、四捨五入すると50代の オッサン ベテランばかりということも少なくなかった。みんなの正確な年齢を聞いたわけではないが、現場での平均年齢は軽く40代後半に届いていたかも。
 そして、出演者は番組ホームページで見ていただければわかるとおり、この道一筋に歩んでいらしたまさに人生の大ベテランだ。取材先でお話を聞くたびに、自分たちはまだまだ若輩者だと痛感した。まだまだ頑張れる、頑張らなくちゃ、とも。

 「人生の応援歌」という番組タイトルは、とかく元気をなくしがちな40代・50代のお父さんたちへの応援歌という意味だったのだが、何のことはない、熟年チームの私たちスタッフが現場でいちばん元気や勇気をいただいていたわけだ。
 こんな幸せな番組はほかにない、と思う。
 
 
 この週末が最終回。
 でもね。番組では最終回とはどこにも出てきません。いつもと同じ内容でいつもと同じように放送してひっそりと幕を閉じようということになりました。
 なぜなら、みんなこれが本当の「最終回」だとは思っていないから。
 いつかまた「人生の応援歌」を制作しよう。それまでのこれはお休み。そう、「番組終了」ではなくて「休止」なのだと。
 そう約束し合って、打ち上げはお開きになりました。

 
 「人生チーム」のみなさん、ありがとう。さよならじゃなくて、またね。



  中京テレビ「人生の応援歌」、3月28日(土)の第257回(一応の最終回)はお菓子職人の小田春雄さんです。たった一人でドライカステラをつくり続けているそのワケを、ぜひ番組でご覧下さい。
  最後になりましたが、これまで番組を支えてくださった出演者のみなさまに心からお礼申し上げます。ありがとうございました。

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 大学病院へ行って医療ドキュメントを撮影してきた。

 と言っても、人間の医療ではない。岐阜大学に、動物の高度先進医療を行う動物病院がある。システムは人間と同じ。地域のかかりつけ医からの紹介を受けた患者(の動物)を診療する二次医療機関だ。手術室はもちろん、超音波からCT、内視鏡など使う設備も人間並み(というか、機器そのものは人間用)。それぞれの専門分野をもつ獣医師たちが、難病の動物たちと闘っている。
 
 大学病院というと、イメージは「白い巨塔」だ。偉い教授のセンセイがいて、医局があって、権謀術数が渦巻いて、何だか一般人には敷居の高いところ。
 と思って少々ビクビクしていたのだが、訪ねて行ってみると出迎えてくださったのはどの先生も、気さくで温厚でそれでいて医療を語れば熱い、とても魅力的な先生ばかりだった。難しい医療用語から最新の医療事情まで、素人の私にもわかりやすく話してくださる姿勢には、ただただ感激だった。勝手なイメージを抱いていてごめんなさい、と心の中で謝る私。
 
 その熱意を伝えるべく、撮影では大学動物病院の一日に密着することに。そう、これはまさに医療ドキュメントだ。

 
 ロケ当日。診療時間のはじまる1時間前に現場に入った私たちに、その日午前中の外来診療を密着させていただくことになっていた先生が告げた、衝撃の一言。

 「例の膠原病のダックスフント、主治医から連絡あって昨日死んじゃったんだって」

 紹介状をもって予約制で受診する大学病院なので、あらかじめ当日どんな患者がやってくるかおおよそわかっている。この日、内科の外来診療でメインに撮影させていただく予定で打合せを進め、飼い主さんの出演承諾もいただいていたワンちゃんが、前日急に亡くなってしまったというのだ。
 朝いちばんからいきなりのアクシデント。いったいどうなるのだろう。予測不能な現場に、スタッフも青ざめる。
 
 とにかくカメラを回すしかない。淡々とありのままを撮ろう。
 機材を搬入して診察開始を待ちながら、心の中で医療ドキュメントを制作する辛さをあらためて噛み締めていた。

 番組としては、盛り上げるためにも難しい病気をもつ患者さんが来てほしい。その病気に医師たちがどう立ち向かい、飼い主さんとともにどんな治療を選択し、その結果どうなったか。立ちふさがる壁が高ければ高いほど、揺れ動く心の幅も大きくなる。できればその一瞬の表情をとらえて、テレビの前にいる人たちに伝えたい。
 
 でもその一方で、心はひどく痛むのだ。重い病気を持つ動物たちなんて、来ない方がいいに決まっている。自分も犬を飼う一人として、飼い主さんの心情は手に取るようにわかる。動物と言えど、大事な家族の一員なのだ。病気を喜ぶ人間がどこにいる。
 
 来てほしくないような、でも来てくれないと困るような。
 そこでふと気づく。今回は動物病院だからまだよかったのだと。これがもし人間の病院だったら。よく『救命救急病院 密着24時!』なんて番組をやっているけれど、これこそ患者さんは来ない方が本来いいわけで。でもだからといって一人も来なかったら、番組は成立しないわけで。
 
 幸いにも(という言い方が決していいとは思わないが)この日、初診のワンちゃんがやってきてくれて、診察のようすを無事に撮影させていただくことができた。しかも検査の結果、深刻な病気ではあるが原因がはっきりとわかり、治療の目処も立つという。先生の「手術すれば治ります」の言葉に、ほっとする飼い主さん。カメラの後ろで私たちスタッフも、思わず胸を撫で下ろしていた。あぁよかった。
 
 
 午後からは手術シーンを撮影することになっていた。お願いしていたのは腫瘍科の先生。こちらは内科以上に厳しい病状の子がやってくる。腫瘍にもいろいろあるが、悪性腫瘍はいわゆる癌だ。事前の取材では助からないケースの方が多いとさえ聞いていた。ここでも悩む。悲惨なシーンは撮りたくないが、それもまた現実なのだ。目の前に突きつけられた時、私たちは果たしてカメラを回し続けることができるのだろうか。

 
 もうね、ここから先はどうかオンエアを見てください。
 朝から夜まで私たち撮影隊は一日病院にいましたが、こんな思いを先生や病院のスタッフは毎日しているわけです。そしてどの先生も、いったいいつご飯を食べているのだろうというほど働いていらっしゃいます。ほんとうに頭の下がる思いでした。

 
 台本をつくっていて獣医学のことを調べていた時に、こんな言葉を見つけました。
 
 『獣医学というのは動物を診ることではない。医師、歯科医師、薬剤師が「人間を助ける職業」である事と同様に、獣医師は「人間を助けるように動物を処置する職業」であり、「直接的に動物を助ける職業」ではない』   
             出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

 
 獣医というと動物を助けるカッコいい職業というイメージがありますが、実際には「動物を助けることを通じて、人間を助ける・幸せにする・利益をもたらす」のが仕事。そのことを、取材させていただいたどの先生も、言葉は違えど仰っていたのが印象的でした。
 そのために並々ならぬ覚悟で医療に立ち向かっていらっしゃいます。その一端でも、今回の番組で伝えることができたらと思います。
 
 最後の獣医師の一言。私はグッときました。

 
 
 岐阜大学動物病院の密着ドキュメントは、3月15日(日)の東海テレビ「スタイルプラス」で放送される予定です。
 最後になりましたが、病院長の鬼頭先生、内科の前田先生、腫瘍科の森先生、お忙しい中をほんとうにありがとうございました。インタビューや撮影に応じてくださった飼い主の皆様にも、この場を借りて心よりお礼申し上げます。

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 初対面の人と会う時、真っ先に目がいくのはどこだろう。あるいはその人と別れた後、いちばん印象に残るところは?
 
 私は「声」だと思っている。この場合は、目がいくんじゃなくて耳がいく、だが。
 人の好感度を決める指標として「声」はけっこう重要なポジションを占めるのではないだろうか。男でも女でも、少し低音で柔らかい、耳に心地よい声を発する人というのはいつまでも記憶に残るような気がする。
 
 英国の作家Anne Karpf(アン カープ)著の『「声」の秘密』によれば、日本の女性は世界でももっとも高い声を発するらしい。そのなかで女性キャスターの小宮悦子氏は、努力を重ねて低い声でアナウンスする技術を身につけたそうだ。なんでも3年間で約20ヘルツも下げたんだとか。
 私も以前何かで読んだことがある。彼女が「ニュースステーション」のキャスターに抜擢された時、久米 宏氏から出た注文というのが「ニュースを読む時は低い声で」という話。
 そう言えば、当時女子アナと言えば高くて女性らしい声でニュースを読むのが普通だった時代に、えっちゃんの声はドスが効いているかと思うほど低かった。それが結果的にオジ様たちのツボにはまったわけだが。
 
 『「声」の秘密』に戻ろう。著者によると「男性中心の社会では男性の声が信頼できるとみなされるため」女性キャスターも低い声でニュースを読む方が信頼されやすいということなのだそうだ。なるほど、久米氏の指摘は的を得ていたことになる。
 
 確かに、同じことを伝えるのでも甲高い声でキンキンまくしたてられるよりは、低い声で落ち着いて話された方が説得力があるよな。
 そのことに気づいてから、仕事などで初対面の人に電話をかける時や人を説得しないといけない場面では、意識して低い声で話すようにしてきた。私の場合ただですら地声がでかいので、これ以上高音でまくしたてられたらうるさくてかなわないだろうな、というまわりへの配慮もある。(事務所の皆さま、いつもすみません。うるさいのはわかっているんです。反省もしているんです)
 
 低い声で話す、というのを最も心がけるのはプレゼンの場だ。
 ありがたいことにあちこちからお声を掛けていただいて、今年一年ポルックスはずいぶん多くのコンペに参加させていただいた。プレゼンテーターはたいてい私。持ち時間を10とすると9ぐらいを私が喋って、最後に残り1をうちのディレクターが締めるというのが定番のスタイルになりつつある。
 
 他社のプレゼンテーターはほとんどが男性だ。女性のプレゼンテーターというのはそれだけで目立つらしい。できればそれがプラスに働きますように。審査員たちの印象に残るプレゼンになりますように。
 始まるまでの緊張感を楽しみつつ手順を確認する。準備は万全。リハーサル通りにやれば完璧なプレゼンになるはず。あとは──低い声で話し出そう。最初の一声はアルトで、だ。
 
 
 そんなことを考えながら参加してきたコンペで、最近立て続けに「当選」の知らせを受けた。いや、別に私の「声」にオジ様たちがまいったワケではないだろうが。
 
 コンペに通ったこと自体もちろん嬉しいが、ウンウン考えて書いた企画を制作できることが何よりも嬉しい。
 ポルックスには企画専門の部署があるわけではなく、ふだん構成や演出をしている私たちが「こんな映像をつくってみたい」と知恵を出し合って企画をつくる。文章に書くのは私の担当だが、コンセプトワークから演出のアイディアまで、これまでの制作現場で培ったノウハウをみんなで思う存分詰め込むのだ。完成するのはつねに「今」私たち制作者がぜひつくってみたい、見てみたい、という思いにあふれた企画書になる。
 
 それが実際につくれるという喜び。自分たちの考えた企画が映像になる嬉しさ。辛かった企画書作成の時間が一気に報われるというものだ。
 とは言え、喜んでばかりもいられない。通ったあとは、これまた膨大な制作の実務が待ち受けている。でもがんばるよ。私たちを選んで下さったクライアントに応えるためにも。

 
 写真は、レギュラー番組の「人生の応援歌」の取材で恵那山の麓にある岐阜の山岡町に行った時のもの。途中の道の駅に日本一大きな水車があって、うひょうひょと写真を撮っていた直後に「この前のコンペ、通りました!」という一報が飛び込んできた。
 一緒に行ってたムラセは、立て続けのコンペ当選の知らせに「いよいよポルックスの時代がきたってことですかね」などと大きなことを言っていたが。
 これからが忙しくなるよ。気を引き締めて、いい作品をつくろう。
 
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 この3連休、各地は紅葉まっさかり。行楽に出かける人もきっと多いのだろうな。
 わがポルックスはと言うと、働いてますよー、みんな。制作中の企業ビデオの撮影素材を撮った端から編集したり、局へ行って番組の本編集に立ち合ったり。私も来週あるプレゼンの準備をしつつ、次の番組の構成を書くのにカンヅメになってます。
 またしても紅葉を見に行くどころじゃありません。って、桜の時期にもそんなこと言ってたっけ。あぁ季節感のない仕事。悔しいので、近所の公園に散歩に行ったついでに写真だけ撮ってきたり。
 
 この週末、彼女たちも忙しく働いているんだろうなぁと想いを馳せる人たちがいる。先日取材でお会いしてきた女将さんたちだ。
 番組の企画で温泉旅館の女将に密着することになり、三重県にある湯の山温泉にお邪魔してきた。御在所岳の麓にある旅館街は、今やまさしく紅葉まっさかり。一年中でいちばん忙しい時期なのだと言う。そんな中、時間を割いていただいて3人の女将さんたちにお話を伺うことができた。老舗旅館を2つ切り盛りするベテラン女将に、縁あってこの地に嫁いできた若女将お2人(ちなみに、3人ともタイプは違いますが「美人女将」です)。
 
 女将と言えば旅館の顔。でも私たち宿泊客が見ることのできる女将としての顔の他に、妻として母としてどんな顔があるのだろうというのが今回のテーマの一つだ。取材では、仕事しながらの家事や子育てに話が及んだ。
 
 若女将2人は、まだ保育園に通うお子さんがいる。そのうちのお一人、家族経営で女将と言えど電球の取り替えからトイレの水の具合まで、何かあれば走り回らねばならないと言う若女将は
 「母親でいられるのは一日のうち1時間くらい。朝ご飯をいっしょに食べるのが精いっぱいです。あとは引退した大女将に見てもらっていて、夜仕事を終えて戻ると子どもはもう寝ています。でもそういう生活をしてると子どももたくましくなりますよ」
 と屈託のない笑顔で話して下さった。うん、わかるよ、わかる。心の中でうなずく私。
 
 うちの子どもたちも、保育園はいつも延長保育で迎えに行くと最後の一人、というのが珍しくなかった。小学校に入ってからは学童保育。寂しい思いをさせたかなと思いきや、本人たちは意外とけろりとしていて
 「最後までいると先生を独り占めできて楽しかった。いい思い出だよ」
 とつい先日も話していた。そんなもんか。

 大きくなった今では貴重な戦力だ。小さい頃から年齢に応じてできることは手伝わせてきたので、2人ともたいていの家事はこなすことができる。母親があてにならないことをよく知っているから、自分のことは自分でやるしかないという感じだ。朝、自力で起きるのはもちろん、翌日学校に持っていく体操服の洗濯から給食のエプロンのアイロン掛けまで自分たちでとっととやっている。
 いつだったか、最低限の夕食のしたくだけして「2人で食べておいて」と慌ただしく出かけたら、おかずが足りなかったのか自分たちでサラダをつくって食べたということもあった。帰ってきて台所を見ると食器もちゃんと洗ってある。大したもんだ、ありがたいと心の中では思いつつ、
 「あんたたち、将来結婚したときに今やってることが役に立つよ。あぁあの時がんばって家のことやっておいてよかったって、きっと感謝するから」
 などとのたまう私。人生なにごともプラス思考だ。がんばれ、ムスメたち。
 
 先日、ムスメたちとの夕食後、日頃の疲れがたまってソファでうとうとしていた私の耳に2人の会話が聞こえてきた。
 「あーあ、一度でいいから『ご飯できたよー』って言われて下りてきたら、お皿も並んでてご飯もみそ汁もおかずもぜーんぶ並んでるっていう晩ご飯がいいなぁ」
 と言うのは次女の声。そうだね。お皿並べるのもご飯よそうのも、みんなキミの仕事だもんね。と、それに答えて長女が冷めた声で一言。
 「あきらめな。うちじゃムリ」
 ささやかな妹の願いが、ミもフタもなく吹き飛んだ。
 「わかってるよ。ちょっと言ってみただけ」
 「今やっておけば、いつかケッコンしたとき困らないじゃん。ね」
 ん、どこかで聞いた台詞。
 
 いつでもヨメに出せます。って、自慢にならないか。
 でもね、本当にいつか感謝するって。この私がそうだったんだから。

 
 
 湯の山温泉の女将さんたちの密着ドキュメントは、12月14日の東海テレビ「スタイルプラス」で放送される予定です。
 最後になりましたが、ホテル湯の本の西田さん、鹿の湯ホテルの伊藤さん、蔵之助の矢田さん、お忙しい中をほんとうにありがとうございました。撮影でもまたうちのスタッフがお世話になります。みなさんの素敵な笑顔をたくさんカメラに収められたらいいなと思っています。

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 しばらくブログの更新が止まってしまいました。いえ、別に商いを休んでいたわけではなく、ブログを書く暇もないほど商いに精を出していたわけで。はい、もう書いて書いて書きまくっていたような気がする。ここしばらく。
 
 そんな日々を過ごしているうちに、気づいたら梅雨入りしていた。
 私たちの仕事にとって雨は大敵。雨の中のロケはそれはそれは大変なのだ。内容によっては、雨だと延期しなければならないことも(それもまた大変)。でもこの時期、予備日だって雨が降らないとは限らない。
 だから結局雨でも決行。そしてきまってスタッフの誰か1人に集中砲火を浴びせる。またいるんだ、運の悪いヤツが。なぜかそいつがいるロケに限って雨が降ることが多いって人。「そう言えばこの前も降った」とみんなで寄ってたかって「雨男」に仕立て上げる。この業界、一度ついた雨男の称号はなかなか消えてくれない。
 それぐらい雨は忌み嫌われるということ。どんなロケでもスカッと気持ちよく晴れてほしいものなのだ。(ちなみに私は「雪女」。これも実は嫌われる)
 
 で、こんなやっかいな時期に私たちはどこへ取材やロケに行っていたかと言うと。

 ひとつは愛知県の東北端、町の面積の90%が森林という北設楽郡東栄町。杉林の中で栽培されている林間ワサビの取材だ。林の中で木漏れ日を浴びて育つワサビを、なんとしてでもカメラにおさめたい。
 そしてもうひとつは岡崎市の中心部から車で30分のところにある、全校生徒68名の小学校。学校林である裏山を、昔の里山の姿に戻そうとみんなで活動しているという。こちらも雨が降ったら活動そのものが中止になってしまう。
 
 連日天気予報とにらめっこしながら迎えたロケ当日。どちらも奇跡的に晴れ間がのぞき、無事に撮影することができた。
 こういう時はスタッフみんなが自慢げに言う。「俺、晴れ男だから」「いや、俺だよ、俺」子どもじゃないんだから。
 それぐらい梅雨の晴れ間は貴重なのだ。私たちにとっては。
 
 
 で、あちこちの「山」を訪ねながら思ったこと。
 ほんとうに今、山仕事の担い手が減っているんだなぁと。林業の衰退は言われて久しいが、このままだと日本の山はどうなってしまうんだろうというぐらい、危機的な状況だ。
 
 日本は国土の3分の2が森林で、北欧に並ぶ「森林大国」だ。そしてその森林の多くが自然林ではなく、人が手を入れながら育ててきた「人工林」。木材としての杉やヒノキを育て、間伐材も余すところなく利用してきた。人里近くの山では炭を焼いたり薪にするための雑木や小枝、家畜の餌にするための草を集めに行った。昔ばなしの「おじいさんは山へ柴刈りに」という「柴」は、こうした小枝や草のことだ。
 山の恵みを暮らしの中に存分に取り入れてきた国なのだ。
 ほんの数十年前までは。
 
 時代とともに、木材は安価な輸入材にその需要を奪われ、人手がないため間伐が行われることも少なくなった。炭も薪も現代社会では必需品ではなくなり、柴刈りするおじいさんも姿を消した。
 
 「山というものは人が行くことが肥やしになる」
 そう教えてくださったのは、東栄町の林業家の方だ。
 山はとにかく人が入って、巻き付いたつるを取り除いたり余分な木を伐採したり、下草を刈ったり枝打ちをすることが大切なんだと。そうすることで森林が健康な状態に保たれる。人が入らなくなった山は荒れる一方だと。
 
 その山の手入れをする人々が、今急激に減っている。
 それは山の恵みがお金にならないから。なぜお金にならないかと言ったら、それを必要とする人がとても少なくなっているから。
 
 でもね。実は日本の木ってすごいのだよ。それを私は毎日実感している。
 
 ポルックスの事務所も含めたわが家は、日本の木をつかって建てられている。建物の構造材や母屋の床板には徳島の杉が、会議にも使われる母屋の大テーブルは信州のアカマツが、事務所の床板には丈夫な栗の木が。
 
 家を建てようとした時、真っ先に考えたのが「国産の木で建てる」ことだった。
 昔取材させていただいた宮大工の棟梁や、その時に資料として読んだ本の内容が頭から離れなかったからだ。
 
 飛鳥時代からの技を受け継ぐ宮大工さんが口を揃えて言うのは、「日本の建物は日本の木で建てるのがいちばん」ということだ。
 木というのは、伐られて木材として建物の一部になっても生きている。100年かけて育てた木で建てた建物は100年もつ。樹齢千年ならば千年。法隆寺などの歴史的建物が残っているのはそのためだ。
 そしてそれは、日本の風土に合った木だから。四季があり、湿度が高いこの国で育った木は、建物になってもその気候にもっとも適したものになる。
 
 幸いにも、国産の木をつかってとてもいい家づくりをしている大阪の設計士さんと出会うことができ、私たちの家が建った。
 そして住み始めてつくづくと思った。「やっぱり日本の木ってすごい!」
 
 その実力をいちばん実感できるのが、この梅雨の季節だ。
 じめじめとした湿気が家の中にこもりがちだが、わが家は違う。木がほどよく湿気を吸ってくれるので、家の中は比較的爽やかだ。風のある日は窓を開けておけば涼しいくらい。エアコンの除湿モードなしには過ごせなかった以前のマンション暮らしとは大違いだ。

 逆に乾燥する冬場は湿気を吐き出してくれるので、これまた快適。
 よく「一戸建ては寒い」と言われるが、木は昼間の温もりをためていてくれるので、夜になってもほんのりと暖かい。母屋は2階までの吹き抜けがある大きな空間だが、床暖房とふつうサイズの石油ストーブひとつで十分なくらいだ。
 建てて9年たつが、いまだに玄関に入ると木の香りがすると言う(家人は慣れてしまってわからない)
 そしてわが家ではスリッパを使わなくなった。客が来ても出さない。足の裏への肌触りが心地よいから、スリッパを履くなんてもったいないのだ。

 木の家はすごい、とうちに遊びに来た人は実感してくれる。けれど同時に決まって言われる言葉がある。「でも高いんでしょ」
 そりゃ無節の総ヒノキで建てりゃ高いよ。間違いなくね。
 でもわが家のように、節があっても味わいがあっていい、ヒノキほど硬くないけど杉でもいいよというのならばびっくりするような額にはならない。同じ規模の建売住宅と比べても、そんなに大きくは変わらないんじゃないかな。(それはもちろん、予算のない私たちのために、設計士さんがものすごく知恵を絞ってくださったおかげもあるのだけれど)
 
 自分たちが気持ちよく暮らすために建てた家。
 けれどこの家が、わずかながらでも日本の山を守ることに役立っているのなら嬉しい。こういう家がもっともっと増えてくれれば、木材の需要も増え、林業に携わる人々も山を捨てずに済むのになと思う。
 
 木の家ってすごいんだよ、とみんなに触れ回る私たち。でもうちの子どもたちは小さかった頃、よく言ったものだ。
 「木のおうちもいいけど、レンガのおうちの方がもっとよかった」
 ん? レンガのおうち? 何それ。
 
 理由は、保育園にお迎えに行った時にわかった。
 『3びきのこぶた』の絵本。わらのおうちと木のおうちはオオカミに壊されてしまうけど、レンガのおうちはびくともしませんでした、というお話。
 レンガのおうちは日本の風土には合いませんって。オオカミもいないし。ね。
 
 
 
 
  東栄町の「林間ワサビ」のお話は7月13日(日)、里山再生活動をしている岡崎市立秦梨小学校のお話は
 8月10日(日)のCBCテレビ「ちきゅう屋駄菓子店」で放送されます。
  いずれも後半の「ちきゅう屋劇場」というVTRのコーナーです。どうぞお楽しみに!

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